2013/02/20

4 ワン・ランク上の確信

アルパートンにあるブレント区社交クラブで、わが人生は続いていた。1年後にテリーがバンドを去ったので、私が後を引き継いだ。テリーの後釜に新しいミュージシャンを入れる代わりに、私たちはトリオで続けることを決断した。その結果1人当たりの給料も上がったわけだ。

ドラマーのグラハムはハモンド・オルガンのサービス・エンジニアだった。巨大なC3ハモンドの補修をしにワットフォードのトップ・ランク・ボールルーム[訳者注:ballroomとはダンスホールのこと]に行くのだが一緒に来ないかと彼から誘われた時には、私はすぐに飛びついた。C3ハモンドはそれまでまだ雑誌の写真でしか見たことがなかった。私は間近で見てみたくてうずうずしていたのだ。もし周りに誰もいなかったら試しに弾いてみることもできるかもしれない、みたいなことをグラハムはほのめかしていた。

そのC3ハモンドは実はバンドリーダーのロニー・スミスの所有物であった。グラハムは彼には会ったことはなかったが、バンドはとても高く評価されているんだと私に教えてくれた。12人からなるバンドで、主としてセッション・プレイヤーからなっているとのことだった。

ボールルームに足を踏み入れた時のことは、鮮明に覚えている。そこはとても巨大だった。少なくとも2千人は収容できたに違いない。

「毎週木曜、土曜、日曜は満員になるんだ。」グラハムはそう言った。

黒いスーツに蝶ネクタイの男が、グラハムと私を舞台まで連れて行った。

「オルガンはどこ?」私はグラハムに尋ねた。 
「舞台は1分で回転するんだ。」彼は言った。

私が目を丸くしながら立っている目の前で舞台が回転し、譜面台、マイク、アンプ、そしてもちろんハモンドC3などが立ち並ぶ一角が現れた。 

グラハムがハモンドC3のスイッチを入れると、それはブーンという快適な音を立て始めた。グラハムは背面カバーを外し、コードだらけのたくさんの仕切り箱が見えるようにし、すぐにその中で作業を始めた。

「調子が悪いのか?」私は尋ねた。
「いや、全然。」グラハムが言った。「でもロニー・スミスはさっき僕らを舞台まで連れてきた男に、僕が何をしたかを聞くんだ。男が背面カバーがオルガンから外されているのを見ていれば、何かしたんだなって思うだろ。」

10分ほど立ったところで、グラハムは再びカバーを取付けると私に合図した。

「さぁ、やってみなよ。」
「やめておくよ。」
「近くには誰もいないって。ほら、弾いてみなよ。」

私は長イスに腰掛けると“グリーン・オニオン”を弾き始めた。素晴らしかった。大音量でとにかく素晴らしかったのだ。私は調子に乗って、さらにいくつかのドローバーを引っぱり、ブルースを弾き始めた。

「おーい、そこの2人、いったい何に触ってると思ってるんだ?」

見上げると30代前半ぐらいの男が舞台すぐ下のダンスフロアに立っていた。

私は凍り付いた。でもグラハムは何とか冷静さを装いながら穏やかに言った。「私はハモンド社から来ました。今このC3の補修をしているところす。こっちにいる私の友達が、私に代わって試しに弾いてくれているんです。」

「そうか、オレはロニー・スミスだ。これはオレのハモンドだから人には弾かせたくないんだ。」

彼は舞台へとよじ上るとオルガンの後ろに立ち、真っすぐに私を見つめた。

「君は楽譜が読めるかい?」
「ええっと、はい。」
「今座っているオルガンのイスの中に大きなフォルダーがあって、そこに番号付けされた譜面がたくさん入っている。取ってくれないか。」

私は彼に言われた通りにすると、次の指示を待った。

「よし。32番を取って弾いてみてくれ。」

私は32番を取って弾いてみた。

「次は66番だ。」

66番を取って弾いてみた。

この不可解なやり取りは同じようなことを繰り返しながら15分ほど続いた。最後にロニーは私がハモンド社で働いているのか?と聞いてきた。

私は実は今学校に通っていて、できれば大学へ進学したいので上級評価教科を勉強しているんだと説明した。 グラハムと私は同じバンドで演奏していることも伝えた。

「ここで働いてみないか?」ロニーは私に言った。

私は口を開けたが、声は出て来なかった。

「木曜、土曜、日曜。12ポンド。来週の木曜から始めよう。」
「でも僕は週末には定期ライヴが入っているんです。」私は思わず口走った。
「どこでだ?」

私は答える前に一呼吸置いて、今いるこの巨大なボールルームを見回し、座った目の前にあるハモンドを見た。

「アルパートンにあるクラブです。もう2年近くになります。」
「それならその先に進む頃合いだな。メンバーには2週間の猶予をあげるんだな。」

トップ・ランクで最初に演奏をした木曜日、母は私が身なりを整えるべきだと言い張った。私は無理矢理ぞっとするほど短く髪を切られ、一張羅でしかも似合わないスーツを着せられたのだった。

トップ・ランク・ボールルームには1時間も前に到着し、バンド用の控え室に行った。ノックをしても返事がなかったので、私はドアを開け中に入った。そこには1つの壁の端から端までの長さの洋服掛けがあり、品の良い鮮やかな青やオレンジのジャケットが掛けられていた。残りの壁の近くには十数脚のイスが壁を向くように置いてあり、トイレに通じるドアがあった。

私は腕時計を見た。バンドが舞台へ上がらなければならない時間まであと10分しかなかった。DJがレコードをかけているのが聴こえた。たくさんの人が集まっていた。しかしこの建物にいるバンドメンバーは私1人だった。 

私がパニックを起こす寸前にドアが勢いよく開いて11人の男達がなだれ込んできた。笑ったり冗談を言ったりしている者もいれば、真っすぐ洋服掛けのところへ行ってジャケットをつかむ者もいた。全員が手に酒を持っていて、全員が長髪だった。そして彼らは全員お似合いの服を着ていた。

最後にドアから入ってきた男は、今まで見た中で一番の長髪だった。彼は実に派手な服を着ていて、片手にスコッチを大量に注いだグラス、もう片方の手に1パイントのビールを持っていた。男はこれまた派手な服装をしている別の男としゃべり続けてから私を見た。

1分ほど彼は私を見つめると言った。「これもヘンリーの冗談か?」
後で分かったのだが、ヘンリーはバンドで使われているロニー・スミスのニックネームだった。

ロニー・スミスがドアのところに現れた。
「アシュレー、どうした?」
今度はアシュレーと呼ばれた男が言った。
「ヘンリー、ヤツは誰なんだ? また1人しみったれたミュージシャン連れてきて、舞台に上がるように言われてる人数を確保しましたって言って、トップ・ランクのご機嫌を取ろうってことか?」
「アシュレー、彼は新しいオルガン奏者だ。」
周り中からうめき声。

「ヤツを見てみろよ、ヘンリー。冗談だろ。ここに来る前はどこで演奏してた?」彼は私に尋ねた。
「ブレント区社交クラブ。」
彼はロニー・スミスの方に向き直った。
「素晴らしいよ、ヘンリー! でも今回はやり過ぎだぜ。」
アシュレーは私のところにやって来た。
「誰がその髪を切ったんだ? 議員さんか?」
別の甲高い声が響いた。
「放っておけよ。来週には放り出されるだろ。」
「ヘンリー、ヤツは服だって身体に合ってないぜ。」

ロニー・スミスは両手を上げた。
「聞いてくれ、みんな。彼はバンドの一員だ。名前はリック。そしてあと3分で出番だ。リック、ハンガーからジャケットを取りな。内側に名前が入ってないやつだ。どこかそのあたりに自分の名前を書くんだ、そうすればそれはお前のだってわかるからな。そうしたら舞台が回るのに間に合うように、他の連中と一緒に演奏ステージに行く。35番から始めるぜ。さぁ、急げ!」

その時私は人生でこれほど惨めな思いをしたことはことはないと思っていた。私はハンガーのところへ行くと名前のない青いバンド用ジャケットを取った。実際それしか残っていなかった。誰かが辞めたらその名前が服の内側から消され、次にやって来た新人がそのジャケットを着るという仕組みになっているのだ。

私は6フィート4インチで、体重はおよそ12ストーン[訳者注:stoneはイギリスで体重測定用の単位として使われていたもので、1stoneは14ポンド(約6.35kg)に相当する。公式の単位としては1985年に廃止された。]、腕は長くウエストは32インチあった。

私はジャケットを羽織ると、演奏ステージへと階段を下りた。バンドの連中は唖然としながら私を見た。

「ヘンリー、ヤツは自分の服がマシに見えるジャケットを見つけたみたいだぜ。」 

もう泣きそうだった。私はまだひどく未熟な17歳なのに、ほとんど全員がロンドンの最高のセッション・マンというバンド・メンバーと一緒に2千人の前で、今まさに演奏し始めようとしているのだ。これまでで一番大きなライヴは、ロンドンでコンコード・カルテットとして出演した、ロンドン・アイルランド人・大晦日パーティーだった。そこで今日がいつだかわからないくらい酔っぱらった500人のアイルランド人を前に演奏したのだ。

DJがカーテンから顔を出した。
 
「ロニー、これが最後のレコードだ、20秒でバトンタッチだ。 それとな、ブッシーの連中が中にいて、もめ事を探してるぜ。」
「ありがとよ、」ロニーはそう言い、レコードが終るのを待って“ソウル・フィンガー”のカウントを入れた。
 
ロニーが舞台袖にあるボタンを押すと、舞台が回り始めた。

私は信じられないくらい興奮していた。でも“ソウル・フィンガー”の私のパートはとても簡単だったので、少しリラックスすることができた。私は自分のパートをアレンジして誰かを困らせたくなかったので、譜面通りに弾いてた。

すると舞台の回転が止まった。私はダンス・フロアにいる約千人の観客とバルコニーにいる残りの千人の観客を見た。

照明はそれほど明るくなかったので、最初私はすぐ目の前のダンス・フロアで行なわれているように見えた“斬新な”スタイルのダンスに目を奪われた。しかしオルガンの横で最初のビンが割れるとすぐに、彼らが実はケンカの真っ最中で、最新流行のダンスに挑戦しているのではないことがわかった。 

10秒もしないうちに大混乱になった。ホールの用心棒があちこちから出て来たが、ケンカを止めさせるというよりは煽っているという感じだった。

ロニーはボタンを押して舞台を戻し、同時に“ソウル・フィンガー”の演奏もゆっくりと止まった。 DJが出てきてブラームスの子守唄をターンテーブルに乗せ、鎮静化させようと少しばかり試みたが、結果は正反対であった。あまりにひどい逆効果だったので、次にイギリス人挑戦者が世界ヘビー級タイトルをかけてリングに上がる前には、ボクシング管理委員会にぜひこの曲をかけてもらいたいと思ったほどだ。彼を奮い立たせること間違い無しである。それも第2ラウンドぐらいまでいけると思う!

私はオルガンのイスから離れた。バンドの連中は、目の前で起っていることにまったく動じてないようで、互いに笑ったり冗談を言い合ったりしながら楽屋に行く階段を上がっていった。

私は面食らってしまった。
ロニーが振り返ると説明してくれた。
 
「年中ってわけじゃないんだ。ブッシーの連中がワットフォードの連中を探しにやって来た時だけさ。15分もすればすべて終る。そこでオレらは再登場だ。3セットやるんだが、最初のセットだけちょっと短くなる、それだけのことよ。」

楽屋へは最後に入って行った。そこでは男たち全員が、お盆を持った長身で肌もあらわな女性を囲むように立っていた。“アシュレー、やめてちょうだい”と“もうここには持ってこないわよ”という叫び声の間で、私は彼女がバンドが注文した酒を運んできたんだと分かった。

「リック、何飲む?」
 
ベース奏者の男が私を見ていた。彼の名前はケン・ランキンで、注文を持ってきた女性は彼のガールフレンドだと後から知った。

「ええと、あなたは何を飲むんですか?」
「随分とご丁寧だな。1パイント・ビール、よろしく。」
ギタリストの一人、ロッド・フリーマンが近づいてきた。
「あのな、リック。ケンは代金は払わないんだ、注文するだけ。みんな自腹で飲んでるってのになぁ。」
「僕も1パイント・ビールお願いします。」私は言った。
「5シリング(25ペンス)よ、」ノーマが言った。
私は信じられずに目を見開いた。ブレント区社交クラブならその1/3の値段だ。その時私は10シリングしか持っていなかったが、もう後へは引けなかった。

「わかりました、」私はそう言うと、彼女に10シリング札を渡した。
「次のセットの後で同じものを飲むのなら、お釣りはまだ持っていた方が良さそうね。そうすれば貸し借り無しになるわ。」彼女は言った。

出来るだけクールに見えるようにと、私は平然と微笑み返しイスに腰掛けた。

サックス奏者の1人、レニーがやって来て隣りに座った。
「ヤツらの言葉はあんまり気にするなよ。いつもあんな調子なのさ。特にアシュレーはな。彼は素晴らしいロック・シンガーだからヘンリーは彼を手放したくない。だからアッシュはああやって口答えすることができるのさ。」

反対側から甲高い声が響いた。ドラマーだった。「オレはテリー、バンドのサブ・リーダーだ。だから1週間10シリング余分に貰う分、ヘンリーの愚痴を聞かされてるんだぜ。」

彼は続いてとても彩り豊かな言葉で、なぜロニーはバンド・メンバーをひどく扱った罪でゆっくり責め苦を味わいながら殺されるべきか、を説明した。

ロニーが演奏ステージに戻るようにと言ったのと同時に、酒が運ばれてきた。舞台で酒を飲むことは許されていなかった。

ケンカ騒ぎは終っていた。舞台が回転するとフロア一のダンサーたちが見えた。アシュレーが舞台とフロアと行き来すると、何十人もの女性が彼に触ろうとした。

私はもう心から楽しんでいた。私のパートは実に簡単だった。

「44番」ロニーが叫ぶ。
44番を取り出した。“ブルーベリー・ヒル”だ。

私はロニーがカウントを始める前に素早く自分のパートをチェックし、“オルガン・ソロ”と書かれた16小節を見つけた。心臓の鼓動が激しくなった。自分を少し誇示するチャンスだ。たぶん強い印象を与えて、恐らく仲良くなって、バンドでの役割を確固たるものにできるかもしれない。

カウントを入れる直前に、ロニーはロッド・フリーマンに向って叫んだ。「ロッド、オルガン・ソロのところ頼む。」

信じられなかった。にもかかわらず私はなんとか平気な顔を装った。でも心の底ではひどく落胆していたのだった。

私のお気に入りの定義はイエス・リユニオン・ツアー中に中米のキリスト教徒向けラジオ局で耳にしたもので、幸運に関するものだ。

「幸運とは、」カーラジオのスピーカーから誰か分からない人の声が流れてきた。「準備が機会と出会った時のことを言うのです。」 私はこの定義に打ちのめされた。そこで私は車を道の端に寄せて心の中で拍手を送ってから、今聞いたこの言葉を書き留めたのだった。

曲が始まってしばらくしたところで、バンドの音がどこか違うことに気がついた。リード・ギターが演奏を止めていたのだ。ロッドを見ると高い方のE弦が切れていた。

ロッドはギターのストラップを外して、切れた弦を押さえているマシンヘッド[訳者注:金属製ギアを用いたギターなどの調弦部]を緩め始めた。自分のパートに目を戻すとソロ・パートはもう12小節先にまで迫っていた。ロッドがその間に新しい弦を取りつけてチューニングまで行なうのは無理だった。私は当然リズム・ギタリストがソロを取るだろうと思っていたので、目の前に書かれてあるブロック・コード[訳者注:分散和音(broken chord)に対する概念で、和音をアルペジオではなく同時にまとめて演奏すること]に没頭していた。

ロニーがアシュレーを呼び寄せて私を指差しているのが目の端に入った。アッシュはオルガンのところにやって来て言った。「1番めのソロをやりな。」

彼に了解を言う間もなく1番めのソロ・パートがやって来て、私は持てるものすべてを使って頑張った。早弾きにブルースのリックにスメア[訳者注:lickは演奏者が即興で挿入するフレーズ、smearはジャズ奏法で音を低い音からずり上げること ]、いや何と呼んでも構わない、それらを16小節にぴたりと収めたのだった。

最後の小節まで来たところで私はやっとリラックスしてアシュリーが立っていた場所を見た。彼はもうそこにはいなかった。なんと彼はロニーのオルガンの上に立っていたのだ。

「ついでにギターソロのパートもやってくれ!」アシュレーは叫んだ。
「オレのオルガンから降りろ!」ロニーが叫んだ。 

そのセットの後の楽屋では、今までとまったく違うバンドのようだった。誰もがわれ先にと私に話しかけてきたのだ!アシュレーとロッドが私を自分たちのそばへ引っ張った。

「どう思う?」アシュレーは私を上へ下へと見ながら言った。
「見た目は最悪だ、」ロッドが言った。
「オレらで何とかしてやろう、」アシュレーが言った。「ヘンドリックス[訳者注:ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)、天才ギタリストとして多くのミュージシャンに多大な影響を与えた米のミュージシャン(1945~1970)。1967年にイギリスでレコードデビューし、過度のドラッグで急逝するまでの4年間でロック界に数多くの伝説を残した。]は知ってるか、リック?」

私はヘンドリックスの曲はほとんど知っているが、ジミ・ハンドリックス・エクスペリエンスはオルガンを用いなかったので、音楽的には何も得ていないと言った。

「土日に何曲かやれないかと思ってるんだ。きっとスゲェぞ、なぁヘンリー。」
「オレは構わないよ。」ロニーが言った。
「最後のセットが終ったら住所を教えるから、明日の朝オレの家に来なよ。ロッド、お前もいいよな?」
ロッドはそれで良いという風にうなずいた。

気分は上々だった。ただお腹のあたりで何かが、明日の朝はどこかへ行かなければならないと言っているような気がした。あぁ、そうだ、思い出した。私は上級評価科目の芸術の授業があったのだ。興奮していてバンドにはまだ私が今も在学中だということを言ってなかったのだ!しかし今はその話題を切り出す絶好のタイミングだとは思えなかったので、私はみんなの酒が乗って運ばれてきたお盆のビールに意識を集中させることにした。

最終セットはとても楽しかった。ロニーは私に、指差したらいつでもソロをやるようにと言っていたが、数分おきに私を指差していたような気がする。私は気にしなかった。それを楽しんでいたのだ。

バンドジャケットをハンガーに掛けると、私は車で家に帰るために駐車場へと歩いた。アシュレーが後から追いかけてきた。

「これがオレの住所と電話番号だ」彼は言った。「朝電話をくれ。そうしたら道順を教える。」

私は天にも昇る気持ちで両親の家に戻った。間違いなくバンドでの役割を確固たるものにできたのだ。この世に心配事は1つもなかった。

しかしまぁ何と信じ難いほどに世間知らずだったことか。
(その点は今も変わらないのだ!)

金曜日の朝食後、私はアシュレーに電話をかけた。両親はすでに仕事に出かけた後で、私は、一度くらい芸術の授業を休んでも何とかなるだろうと心に決めていた。

道順が分かるとアマーシャムへと車を飛ばした。アシュレーとは彼の義父の新聞販売店で会う約束をした。

10時頃に店の前で車を停めた。アシュレーとそこで会い、彼に指示で彼の後を付いて店の上の階へと上った。そこにある居間では1人の老人が沈み込むように肘掛けイスに座って、ぐっすり眠っていた。彼は大きないびきをかいていた。

「あれが義父だ。」アッシュが言った。「新聞の仕事ですごく早く起きるから、いつもこの時間に2時間ぐらい寝るんだ。それから店に下りていく。ちょっとソファに座っててくれ、10分ぐらいで戻るから。そうしたら急いでオレの家へ行こう。」

私はアシュレーの義父の向かいのソファに座った。彼は本当に疲れているようだった。

ドアが開いたので私は立ち上がった。アシュレーだと思ったから出かけようとしたのだが、入ってきたのは3歳くらいの子どもだった。彼は空の牛乳瓶を持っていた。

その子はよちよちとこちらにやってくると私を見つめた。
私はその子がしゃべることでアシュレーの義父を起こしたくはなかったが、何か反応はしなければと思って微笑みかけてみた。

その子はこの親しみの表現にはまったく何も感じなかったようで、寝ている義父の方へよちよちと歩いて行った。

「おいいちゃん」眠っている祖父を指差しながらその子は言った。
私は微笑みながら指を唇に持って行き、「静かにね、おいいちゃんを起こしちゃダメだよ」ということを身振りで伝えた。
「ぐうぬーびん」その子は言った。
私はまた微笑んでうなずいた。
 
するとその子はそのぐうぬーびんでおいいちゃんの頭を殴ると、とことこ歩いて行ってしまったのだ。

私は座ったまま本当にびっくりしてしまった。だって今は意識を失っているおいいちゃんの額がぱっくり割れて血が滴り落ちてきたのだ。

それが合図だったかのように、アシュレーが入ってきた。
私は言葉が出ず、おいいちゃんを指差した。私は彼が当然死んでいると思った。

アシュレーは振り向いてドアから首を出すと階下に向って叫んだ。

「公爵夫人!」(これはアシュレーが妻を呼ぶときの愛称だった。)
「またジュリアンが君のお父さんを牛乳瓶で殴ったぞ、後始末してくれないか?」

彼は私に手招きをした。

「さぁ行こう。良くあることなんだ。後は公爵夫人がやってくれる。」
 
階段で落ち着き払った公爵夫人の横を通り、まだ割れた牛乳瓶を握りしめているジュリアンの横を通った。

アシュレーは注意深く彼の手からそれを取り上げて言った。「ジュリアンは悪い子だぞ。あんなことしちゃダメじゃないか。おじいちゃんは頭を殴られたくはないんだぞ。」
「おいいちゃん、血出た。」ジュリアンが言った。

私たちは数マイル先のアシュレーの母親の家に車で向かい、そこでロッドに会った。アシュレーはヘンドリックスのレコードを何枚か持ってきていたので、レコード・プレーヤーでかけてみた。

「やるんだったら曲をアレンジし直して、カバー・ヴァージョンにしないと。」私は言った。
「それは問題ない。」アシュレーが言った。
「ロニーは決してヘンドリックスの曲はやらせてくれない。客はそういう曲じゃ踊ろうと思わないだろうし、ブラスセクションが演奏するところもないって言ってるからな。」
「トップ・ランクの支配人がヘンドリックスの大ファンだって言ったら、ヘンリーはやろうと言うと思うぜ。」アシュレーが言った。「ヘンリーはブラウニー・ポイント[訳者注:brownie pointとは、ガールスカウトの低学年団員が、良い行いをすることにより得る点数。]を気にするタイプだからな。」
「トップ・ランクの支配人は40代で、ヘンドリックスは洗濯機のメーカーの名前だと思ってるよ。」ロッドが反論した。

「なぁ」アシュレーが言った。「オレはソウルやポップスにはもうウンザリしてるんだ。何か違ったことをしなきゃ。曲ができるようになったらヘンリーを説得できると思う。」

そこで私たちはそうした。
私たちは“パープル・ヘイズ”と“オール・アロング・ザ・ウォッチタワー”と“ヘイ、ジョー”を演奏できるようになった。

翌日3人はトップ・ランクに早目に出向き、ドラマーのテリーとベースのケンと共にリハーサルを行なった。私たちはこの新しいアレンジを完全にリハーサルし終わるまで、ロニーには準備OKとは言わないでおこうと決めていた。

そしてついに翌週の木曜日に準備が整った。“ヘイ、ジョー”にはちょっとした考えがあった。それはロニーに話した方が良いだろうと思っていたが、まず私たちは“パープル・ヘイズ”から始めた。

特にブラスセクションがかなり威勢良く拍手したり声援を送ったりしたので、彼は良い印象を持ったようだった。

ブラスセクションがかなり威勢良く拍手したり声援を送ったりした本当の理由は、もちろん、ロニーがセットの中にヘンドリックス・メドレーを加えてくれれば、その時ちょっと抜け出して一杯ひっかけてくることだできるからであった。

“オール・アロング・ザ・ウォッチタワー”を演奏し始めると、1分ほど経ったところでロニーが止めた。

「うーん、どれも良いとおもうな。」彼は言った。
「もう1曲あるんだ、ロニー」私は言った。「“ヘイ、ジョー”なんだ。」
「良いだろうってことは、もうわかってるよ。」ロニーが言った。「最初のセットに間に合うように、8時にまた集まろう。」
「ロニー、」アシュレーが言った。「“ヘイ・ジョー”にはちょっと考えがあるんだ。セットで演奏する前にちょっと話しておきたいんだ。」
「アシュレー、」ロニーが言った。「オレは忙しいんだ。やるべき事をやれ、つまらないことでオレをわずらわせるな。」

私たちは肩をすくめるとそこを出てバーへ行った。ロニーが支配人に話しかける声が聞こえた。

「ヘンドリックスの曲を練習してきたメンバーがいるんです。」ロニーは無関心な風にそう言った。
「確か妻がそこの洗濯機を買ったと思ったが。」
 
ロニーはその夜の3つめのセットまでヘンドリックスを温存することにした。それが一番インパクとがあると考えたからだ。彼はまた支配人がヘンドリックスの曲を聴いて、聴衆の反応を確認するだろうと確信していた。

3つめのセットの中盤、ロニーはアシュレーに、支配人をオフィスまで呼びに行ってくるからヘンドリックス・メドレーを始めるように耳打ちした。ブラスセクションはバーに行ってしまった。

ダンスフロアーの若者たちは、何かちょっと違うものが始まろうとしていることがわかって、舞台の前に集まり出した。

私たちは“パープル・ヘイズ”を突然演奏し始めた。曲が終るとかなり良い反応が返ってきた。“オール・アロング・ザ・ウォッチタワー”も同様な感じで受け入れられた。2曲を演奏している間、ロニーも支配人も見つけられなかった。続けて“ヘイ、ジョー”を演奏し始めた。

“ヘイ、ジョー”はわたしが、死にそうになるくらいソロを弾きまくるというものだった。ロニーのオルガンを使った視覚的な効果も準備してあった。そのアイデアを説明する機会を彼は与えてくれなかったので、私はアシュレーに次の機会に延期した方がいいんじゃないかと言った。

「延期なんてするもんか」アシュレーは言った。「やるんだ。」

ロニーが支配人と一緒に最上段のバルコニーにいるのを目にした時、実際私はもうやり初めていた。

私の高さがほとんどバルコニーと同じだったため、私はロニーを実にはっきりと確認できた。というのはロニーのオルガンをもう自分の物のように使っていて、私はオルガンの上に乗り大きなほうきで“スメア”をプレイしていたのだから。

ロニーは圧倒されてはいないようだった。彼が何て言っているのか正確には聞き取れなかったが、親切にも後に楽屋で何回も繰り返してくれたので、最初にアシュレーに当て推量で言ったことが正しかったことを知った。それは、なんて無礼な、だった。

公正を期して言うなら、ロニーは難しい立場にいたのだ。群衆はそれをとても気に入ってくれた。だから支配人もそれを気に入ってくれた。それはつまりトップ・ランクという組織内でロニーの身分がより安泰となることにつながるのだ。だからとにかく差し当たっては、ロニーもそれを気に入ったのだった。

わたしはワットフォードのトップ・ランクで約1年仕事をした。するとある日ロニーが、週3日のロックの夕べに加えて舞踏晩餐会をやらないかと聞いてきた。私はロニーに、今上級科目の勉強をしているところで、今以上に時間を割くことはできない、その月に試験があって、王立音楽大学に入学するには合格しなければならない、ということを説明した。さらにこういうことも言わずにいられなかった。私はダンス・バンド音楽が嫌いだった。ロニーのためにいくつかの催し物で演奏したが、好みから言えばどれもジャズ風過ぎた。だから時間があっという間に過ぎて欲しくて、世間的に可能な限り早い時間から酔っぱらって、何とかやる気を出そうとしていたのだ、と。 

ロニーは私の立場を十分理解してくれて、解雇まで1週間の猶予をくれた。

私は落胆した。この件ではアシュレーやバンドの仲間もショックを受けた。彼らはロニーに嘆願してくれたのだが、それも無駄だった。彼は頑として聞かなかった。彼には毎週別のオルガン奏者に金を払う余裕はなかったのだ。彼が必要としていたのは両方の仕事をやってくれる1人の人間だった。

最後にトップ・ランクを去る時、サックス奏者の1人であるレニー・ケイスが後を追いかけてきた。

「リック、これ。」彼は言った。「ここに電話して、デイヴ・シムズさんをお願いしますって言うんだ。彼はオレの友達でショーバンドを運営している。新しいオルガン奏者を探してるって言ってたよ。」
「ありがとう、レニー、」私は言った。「でも僕は自分のオルガンを持っていないんだ。」
「確か全部揃えてくれるはずだよ。」彼は反論した。「試してみろよ、失うものなんて何もないんだから。」

次の朝私は上級科目の試験勉強をちょっと休憩して、レニーがくれた番号に電話してみた。
呼び出し音が何回か鳴り電話の向こうから声が聞こえた。「こちらミュージカル・バーゲン・センターのデイヴ・シムズです。どのようなご用件でしょう?」
「ワットフォードにあるトップ・ランクのサックス奏者レニーの友達なんですが、 彼に言われて電話しました。僕の名前はリック・ウェイクマン。ロニー・スミスのところを辞めたばかりのオルガン奏者です。」
「あぁ、レニーから昨晩電話があったよ。彼はあなたが素晴らしいオルガン奏者で、私たちが探しているのにピッタリだと言ってた。会いに来てもらえるかな?サウス・アーリングで音楽関係の店をやってるんだ。」

45分後、わが音楽修行の次のステージでとても重要な役割を果たすことになる中古楽器店のドアを、私はくぐろうとしていたのだった。